幸福論

1.     幸福とはこういうこと。

(1)              幸福は、快適に過ごせる環境条件のように思っているが、実際は、快い、美味しい、楽しいという心理現象だ。人を外から見た幸福は、元気で長生きしている、経済、人間関係が上手くいっている等だが、心で感じている幸福感の方が本質だ。

(2)              幸福は、不満が無い状態だと思っているが、それでは幸福は欲望が消える死後にしかありえないことになる。幸福は目的を定めた欲望の火が燃えている状態だ。

(3)              欲望が幸福を生む。 健康な人が健康であり続けても幸福とは感じないが、病気の人が健康になりたいと願うと幸福な気持ちになりやすい。余命あと数日と知らされた患者や家族が、余命を超えた日々が続くように願うと幸福な気持になりやすい。自分の余命が分からないと、いくら長生きしても幸福を感じない。

(4)              幸福は外部環境だけでなく、記憶や思考からも生じる。外から何かをされて生じる幸福(愛される)もあれば、自分が何かをして生じる幸福(愛する)、その事を思うだけで生じる幸福(愛し愛された喜びの記憶)がある。

(5)              幸福は、欲望と体が衰え、周囲からも愛されにくくなり、死の不安が増す、晩年にこそ必要で、若いうちは、目標としての蜃気楼でよい。

2.     幸福感はこのように生まれる。

(1)              欲望を満たす刺激が五感に届く。脳幹を経て、大脳辺縁系や大脳新皮質に届き、ドーパミン(快感物質)が放出されてレセプターに入り、快感が生まれる。

(2)              五感の刺激を経なくても、外の現象とは関係なく、記憶や思考だけで快感反応が生じる。

3.     蜃気楼の幸福とは。

(1)     願いが満たされつつあると感じる時に、湧いてくる感情。

(2)     バラバラに暮らす家族が、一緒に暮らせる家を建てようと日々努力する。仕事は苦しくても皆は幸せだろう。家が完成して、一緒に住んだ日から、幸福感は薄れていくだろう。蜃気楼の幸福は新しい家や同居することにあるのでなく、新しい家や同居を目指す道筋にある。砂漠で、蜃気楼の湖を目指すうちに小さな泉に出会うように。

(3)     若いうちはこの幸福が良い。

4.     偽物の幸福とは。

(1)     精神世界で生み出されたのでなく、外部の刺激に反応して生じた受身の快感。

(2)     刺激が消えた瞬間、幸福感は消え、次は別の刺激が必要になる。

(3)     外部は思い通りにならない上に、より強い刺激が必要になり、他人の欲望と衝突することもある。刹那的な流行や、商業主義、見栄や虚栄心に翻弄されて、心の不安定さが増すばかりになる。お金がものを言う世界なので、かえって不幸になりやすい。

5.     本当の幸福になるには。

(1)     本当の幸福とは何か。自分の脳の働きだけで、いつでも味わえる、愛情欲に火を灯せば良い。

(2)     愛情欲とは、生命維持に必要な飲食の欲望と同じ、最も基本的な欲望の一つで、子どもと母親のように、大切に感じ、繋がりたい、一緒になりたい、関心を持ち合い、同情したり、思いを共有したい感情。

(3)     欲望の種類はたくさんあるが、愛情欲が満たされるだけで、他のすべての欲望はどうでもよくなる程、強く長く安定した幸福感が生じる。それは愛し愛されたいという愛情欲だ。人は愛情を与えたり受ける時に、無上の快感を得る。認められる、尊敬される、注目される、誉められる、関心を持たれる、頼られる。そのためにはすべてを犠牲にしても良いと思う。愛情の対象は何でも良い。この欲望を満たした時に生じる、満足感と幸福感は継続し、もし相手が消えでも、脳の中に築かれた関係が、引き続き機能して、幸福感を醸成し続ける。強さ、安定感、継続性からして、究極の幸福への道だと思われる。

(4)     愛情欲をしっかり構築して、自在に発信できるようにする。いつも平安な幸福感が維持できるようになる。

(5)     自分の幸福のためにと家庭を省みない父、子供を置いて出る母。子供への愛情欲は、オーロラや虹のように、この世にこれ以上の幸福感をもたらすものは無いのに。

(6)     加齢につれて、体の老病は進み、心は怖れる。いつか来るのは漠然とした幸福でなく確実な死なのだから、幸福は未来ではなく今ここになければならない。死なないことを前提とした幸福論は沢山あるが、死ぬことを前提とする幸福論が必要だ。体に安楽死の医療が必要なように、心の安楽死の知恵が必要だ。確信をもって晩年を安楽に生きられれば、命の終わりを脳に納得させ、諦めて受容れる、そのまま安楽死の道筋になる。野菊が花をつけ実をつけ、散し終えて、冬まで少しの水と養分で、晩秋の太陽の暖かさを楽しみながら枯れていくように。

(7)     体が不自由になっても欲望を灯し続ける。体の活動でなく脳の活動が良い。愛情欲が良い。体や欲望の衰えで、愛しにくく、愛されにくくなるが、愛情欲を灯し続ける。これこそ人生晩年の目標に相応しい。これが定まれば、若いうちも、その過程を歩んでいる安らかさが、幸福感になる。愛情欲は、受けるだけでなく発信する欲望で、愛情はこだまのように、声を発すると返ってくる(Give before given)。こだまを欲するなら、声を発すればよい。挨拶や笑顔、インターネットで人を幸せな気持ちにさせる言葉を発信し続ける。自分次第で出来るし、体の衰えを脳の世界にシフトすることでカバーもできる。時々感謝の言葉が返ってくる。基本は愛情を発しつづけること。

@   自分の分身の幸福を我が身の幸福とする。孫やスター選手など。人間嫌いならペットや植物で良い。

A   孤独を愛する人は、精神世界を構築し、そこに愛情を注ぐ。

B   昔日の幸福感を思い出して幸せな気持ちになる。日々の何気ない幸福は、思い出やアルバムになって、いつか来る孤独な晩年の宝物になる。

C   モーツアルトのように、不特定多数の人を幸せにする才能があると思えば、独自の魅力的な世界を自分の脳の中に作り上げ、言葉や文章や絵で発信する。

D   普通の人は、情を交わしあう特定少数の人とのコミュニテイーをつくり、そこでメールや会話や遊びや香席などを楽しむのもよい。