鎮欲ノ湯(欲望をなだめる)
「朝はどこから 来るかしら あの空越えて 雲越えて 光の国から 来るかしら いえいえそうではありません」
欲望はどこから来る。
大脳辺縁系で生まれる欲望は、何かをどうにかしたいという衝動で、生きる力になったり、行動する原因になったり、不満というストレスの原因になったりする。満たされれば消え、深まることは無い。
大脳新皮質で生まれる欲望は、欲望を満たした時に発生する快感物質の刺激を欲する衝動で、満たせば満たすほど強まり、満足することが無い。
「私」は、欲望が見せる幻影を、映す鏡。
「私」は視覚への依存度が高い。目で食欲がわく。目で欲望が揺すられる。野菜に滋養より均整や色艶を求めてしまう。
「私」は物を関心に合わせて加工して見ている。死者に恨まれていると思う人には、壁の染みや影、布の皺や暗闇に、死者の顔が見える。信仰心の厚い人は、見る物すべてに、神仏が見える。
バンコックでマツタケを食べた。砂を噛むようだった。マツタケの味は、季節の変化の幻覚なのだろう。
冷凍保存で200年後に生き返ったら、知人も家族もなく、習慣や言葉、食物、国籍や人種、社会のシステム、何よりも価値観も変わっているだろう。「私」は同時代の人々と共有している欲望を映す鏡で、時代から離れたら、何も映らなくなる。200年後のそこは、小人の国のガリバーか、猿の惑星に着陸した宇宙飛行士のように、居場所がないと思うだろう。
映画には主人公がいて、観客や読者に、主人公の愛憎や恐怖を自分の愛憎や恐怖と思わせる。主人公の愛憎や恐怖を、非日常のレベルまで膨らませ、満たさせる。観客は欲望を満たす強い快感を体験する。観客の欲望はますます深まり、次はさらに強烈な愛憎や恐怖を欲するようになる。
部品を沢山集めてもパソコンにはならない。思い出を沢山集めても昔にはならない。知識を沢山集めても知恵にはならない。満足を沢山集めても無欲にはならない。
欲望の引力に倒されない根。欲望の充足以上の目的。