洗心ノ湯(心を洗う)

苦しみの原因は欲望にある。欲望は未来から来る。欲望は命そのものの働きだから消せないが、鎮めることはできる。欲望は、満たせば深まるばかり。欲望を深めずに満たすのは、水の香りのようなもので、実在しない。そのことを理解すれば鎮められる。

「私」が見て感じて信じているすべては、網膜上の映像に、脳の回路が意味づけしたもので、同じものを見ていても、一人一人別々の幻を見ている。

「私」は脳で明滅する電気信号で、時空の制約はなく、昔が今であったり、死者が生きていたり、ここが宇宙の果てだったり、超能力が使えたり、自由自在である。

大脳新皮質の欲望の囁きに振り回されれば、苦は果てしなく増大する。真水でなく果汁や酒が欲しくなる。欲望の鏡に映る映像しか見えなくなる。

飛蚊症になった。見えるものすべてに虫がとまっている。脳が、見えるすべての物に欲望を投影してしまうように。網膜についているので、払ったり消したりできない。これは虫でなく幻であると理解すれば共存できる。

「今の私」、そう思った瞬間、「過去の私」になっている。一瞬で脳の記憶は変わり、元の私は消えている。人生には、戻れる「元の世界」は無いし、戻れる「今の私」も無い。

香りには、脳の中の「私」を、欲望の鎖から切り離すがある。